報恩寺[Temple]
📍 日本、〒303-0041 茨城県常総市豊岡町丙1587 2026-08-30
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)報 恩 寺
報恩寺は、鎌倉時代の建保二年(一二二四)、浄土真宗開祖親鸞聖人二十四輩の第一弟子性信坊が、聖人の命によって下総国岡田郡横曽根(現在の常総市豊岡町横曽根)にあった真言宗の廃寺を再興し、念仏道場を開いたことに始まる真宗大谷派の寺院である。
性信坊は、親鸞聖人の越後流罪(旧仏教による専修念仏教団弾圧の際、法然に連座して京都から越後=新潟県に配流)に従い、また聖人の二十余年にわたる関東での教化活動にも随伴した高弟で、貞永元年(一二三二)京都に帰る聖人の命により東国での…
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報 恩 寺
報恩寺は、鎌倉時代の建保二年(一二二四)、浄土真宗開祖親鸞聖人二十四輩の第一弟子性信坊が、聖人の命によって下総国岡田郡横曽根(現在の常総市豊岡町横曽根)にあった真言宗の廃寺を再興し、念仏道場を開いたことに始まる真宗大谷派の寺院である。
性信坊は、親鸞聖人の越後流罪(旧仏教による専修念仏教団弾圧の際、法然に連座して京都から越後=新潟県に配流)に従い、また聖人の二十余年にわたる関東での教化活動にも随伴した高弟で、貞永元年(一二三二)京都に帰る聖人の命により東国での教化布教のため、この地に留まった。その時、性信坊は聖人直筆の「教行信証」を載いた。性信坊の徳を伝え聞き、教えを乞う人々で門前は市をなしたと言われる。それは後に国宝に指定されている。
しかし、戦国時代の兵火によって堂塔はことごとく焼失し、報恩寺は江戸に移された。その後この地に再建されるが、現在の本堂は文化三年(一八〇六)に造営されたものである。
当寺には「お鯉さま」の説話が残されている。性信上人の法話の座にいつも白髪の老人の姿があった。この老人の正体を探ろうとしたが、老人の姿はいつも飯沼のほとりで消えてしまった。その後、飯沼の天神社(大生郷天満宮)の神主の夢枕に白髪の老人=天神(菅原道真公)が現れ「性信の聖は、我が心の悩みを解いた恩師、毎年正月には御手洗の池の鯉を二尾贈るように」と告げた。天福元年(一二三三)のことであった。爾来、正月十日に天満宮から二尾の「お鯉さま」が贈られたという。
大生郷天満宮から贈られた「お鯉さま」は、報恩寺に納められたのち、東京浅草の報恩寺に送られ、十二日、四条流(宮中で用いる膳部料理の流儀)の儀式にのっとった「俎開き」が古式豊かに執り行われる。という行事は連綿と続けられ、現在にいたっている。
常総市観光物産協会
常総市教育委員会