佐都ヶ岩屋古墳[Kofun (burial mound)]
📍 日本、〒300-4213 茨城県つくば市平沢1257 2026-08-19
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)つくば市
指定史跡 佐都ヶ岩屋古墳
昭和四八年十二月十二日指定
ここ平沢には「三十六岩屋」という伝承がある。地元では開口した横穴式石室を岩屋と呼び慣わしてきており、かつてはたくさんの古墳があったと推測される。現存するのは四基のみであるが、その中の一基、この佐都ヶ岩屋古墳(平沢一号墳)は、筑波山南麓の七世紀の古墳としては最大級の墳丘や横穴式石室を有しており、この地域を支配した首長の墓といえる。
本古墳は、おおよそ南北二五m、東西三五m、高さ七mの方墳で、南側に巨大な板石を組…
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つくば市
指定史跡 佐都ヶ岩屋古墳
昭和四八年十二月十二日指定
ここ平沢には「三十六岩屋」という伝承がある。地元では開口した横穴式石室を岩屋と呼び慣わしてきており、かつてはたくさんの古墳があったと推測される。現存するのは四基のみであるが、その中の一基、この佐都ヶ岩屋古墳(平沢一号墳)は、筑波山南麓の七世紀の古墳としては最大級の墳丘や横穴式石室を有しており、この地域を支配した首長の墓といえる。
本古墳は、おおよそ南北二五m、東西三五m、高さ七mの方墳で、南側に巨大な板石を組み合わせた横穴式石室が開口している。石室は、石室内部が前室と後室に分かれる複室構造で、さらに全国でもめずらしい平面T字形である。築造された時期は、羨道と前室を分ける前門が整ったL字形に加工されている特徴から、七世紀半ばから後半頃と考えられる。
六世紀以前、首長の墓は前方後円墳を基本としていたが、六世紀末頃からは大型の円墳や方墳へと変わり、八世紀までには古墳そのものの築造が終りを迎える。この古墳終末までの時期を、古墳時代終末期という。そして、このような全国的な古墳築造の変遷は、中央集権的な国家制度の整備や仏教の普及に連動するものと考えられている。古墳時代終末期に築造され、時代的特徴と規模を備えた本古墳の存在は、中央において着々と進む国家体制づくりを受け入れ、その変化に対応していった、この地域の人々の動向を伝えるものである。
かつてこの地一帯は、筑波国造が治めていたと考えられる。そして、国・郡(評)・里という地方制度が成立した際、各地の国造が郡司(評督)となったといわれる。古代筑波郡役所跡である平沢官衙遺跡を見下ろす位置に築造された本古墳の被葬者と、筑波国造・筑波郡司との関係も注目される。
なお、平将門の娘、瀧夜叉姫が、ここに隠れ住んでいたとの伝説もある。
平成十八年七月二十五日 つくば市教育委員会