日向廃寺跡[Archaeological site]
📍 日本、〒300-4231 茨城県つくば市北条17−2 2026-08-25
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)つくば市指定 史跡 日向廃寺跡
昭和六十二年(一九八七年)七月九日指定
この地は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての寺院跡で、現在の地名をとって日向廃寺跡と呼んでいる。建物跡は中央堂を中心に東西に回廊をもつ阿弥陀堂建築で、京都の宇治平等院鳳凰堂に似た全国的にも珍しい寺院跡である。
建物跡は中央に東西三間、南北四間の仏堂があり、そこから複廊が東西に伸び、その先端から単廊が南につき出ている。中央堂では花こう岩製の柱座造り出しを有するものがまじっているが、礎石は筑波変成岩類が主…
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つくば市指定 史跡 日向廃寺跡
昭和六十二年(一九八七年)七月九日指定
この地は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての寺院跡で、現在の地名をとって日向廃寺跡と呼んでいる。建物跡は中央堂を中心に東西に回廊をもつ阿弥陀堂建築で、京都の宇治平等院鳳凰堂に似た全国的にも珍しい寺院跡である。
建物跡は中央に東西三間、南北四間の仏堂があり、そこから複廊が東西に伸び、その先端から単廊が南につき出ている。中央堂では花こう岩製の柱座造り出しを有するものがまじっているが、礎石は筑波変成岩類が主である。
この建物は火災で焼失したようだが、その後規模を縮小して東西三間、南北四間の小堂が再建された形跡がある。
出土した瓦は巴文軒丸瓦、剣頭文軒平瓦などであり、その様式から十二世紀後半に位置付けられる。
当時、茨城県南地方に勢力を持っていたのは常陸平氏の多気氏である。多気氏の本拠はこ北条にあった。付近には多気氏第六代義幹の墓と伝えられる五輪塔がある。恐らくこの日向廃寺も多気氏によって造営されたものであろう。
巴文軒丸瓦 剣頭文軒平瓦 調査時写真(東から) 日向廃寺跡平面・断面図
建物規模(礎石の心心間)
中央堂東西長 9.18m 中央堂南北長 9.79m
西複廊部東西長 12.54m 西複廊部南北巾 4.89m
西単廊部南北長 16.67m 西単廊部東西巾 3.67m
平成元年(一九八九年)十二月
令和四年(二〇二二年)三月改修
つくば市教育委員会