石造地蔵菩薩立像(湯地蔵)[寺]
📍 日本、〒300-4223 茨城県つくば市小田4002 2026-08-09
— 由緒板の原文(読めた字)茨城県指定
彫刻
石造地蔵菩薩立像(石造龕を含む)
昭和三十七年十月二十四日指定
像高 一五七・五cm
このあたり一帯は、三村山清冷院極楽寺の遺趾である。現在の小字名を〔判読不能〕「尼寺入り」といい、かつては、僧寺と尼寺の多くの伽藍が、立ち並んでいたことだろう。
建長四年(一二五二)奈良西大寺の僧忍性が来住し、以来十年間この地にとどまって、律宗の布教と伽藍の整備に努めた。小田の地には、その足跡が様々残り、結界石・宝篋印塔・石灯籠・五輪塔などが現存する。それらは、忍性止住の間…
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茨城県指定
彫刻
石造地蔵菩薩立像(石造龕を含む)
昭和三十七年十月二十四日指定
像高 一五七・五cm
このあたり一帯は、三村山清冷院極楽寺の遺趾である。現在の小字名を〔判読不能〕「尼寺入り」といい、かつては、僧寺と尼寺の多くの伽藍が、立ち並んでいたことだろう。
建長四年(一二五二)奈良西大寺の僧忍性が来住し、以来十年間この地にとどまって、律宗の布教と伽藍の整備に努めた。小田の地には、その足跡が様々残り、結界石・宝篋印塔・石灯籠・五輪塔などが現存する。それらは、忍性止住の間につくられたものかどうか確証はないが、西大寺系律宗文化の介在とその影響のもとに、つくられたものであることは明らかである。忍性は弘長元年(一二六一)鎌倉に去る。本像はその二十八年後の正応二年(一二八九)に造立されたものである。仏龕奥壁の左右に、次の銘文が刻まれている。
(右)右為法界衆生平等利益也 檀那左衛門尉
(左)正應二年丑十一月十日造立 勧進佛子阿浄
左衛門尉は小田氏の四代時知か、あるいは五代宗知に推定される。阿浄は「西大寺有恩過去帳」にその名が見える。
本像は、約七〇センチ角の方柱状花崗岩を使って、その一石に、本体及び蓮華座、そして錫杖・宝珠・頭光を高浮彫り風に彫出し、背面を残して奥壁とする。この両側に幅約六〇センチ、厚さ約一六センチの側壁を立て、上に屋蓋を乗せて龕を形づくる。惜しくも相輪を欠失するが、ほかは全て当初のままである。
俗に「湯地蔵」といわれ、安産と乳が出るようにという祈願のために、小田の人々によって守られてきたのである。本像は鎌倉時代後期の在銘石造地蔵菩薩像として、また屋蓋付の石龕におさまる完好な遺物として、美術工芸史的にもきわめて重要な作品である。
平成元年三月
つくば市教育委員会