小田城跡[城址]
📍 日本、〒300-4223 茨城県つくば市小田2377 2026-11-08
— 由緒板の原文(読めた字)本丸跡では、平成9年度(1997)から20年度(2008)まで実施した発掘調査により鎌倉時代の館を改修しながら、戦国時代まで使用し続けたことが判明しています。その成果を元に、最上面の全体像が分かる戦国時代後半の様子を復元しました。
戦国時代後半の本丸跡では、堀跡は上幅約20〜30m、深さ約4〜5mの堀底を凸凹にした障子堀で、その内側に基底幅約10〜15mの土塁跡が巡ります。土塁と堀の間の斜面には犬走りと呼ぶ段があり、南東と北東の隅は櫓台状に突出しています。
出入口である虎口跡…
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本丸跡では、平成9年度(1997)から20年度(2008)まで実施した発掘調査により鎌倉時代の館を改修しながら、戦国時代まで使用し続けたことが判明しています。その成果を元に、最上面の全体像が分かる戦国時代後半の様子を復元しました。
戦国時代後半の本丸跡では、堀跡は上幅約20〜30m、深さ約4〜5mの堀底を凸凹にした障子堀で、その内側に基底幅約10〜15mの土塁跡が巡ります。土塁と堀の間の斜面には犬走りと呼ぶ段があり、南東と北東の隅は櫓台状に突出しています。
出入口である虎口跡は南西・北・東で確認しました。南西虎口跡では低い石垣を築いており、南には馬出跡へと通じる木橋跡が発見されました。橋の形状は、東では石積みのある土橋状の張出と木橋の組み合わせで、北では部分的に石積みを使用した土橋跡でした。
本丸の土塁跡内側は南北約115メートル、東西約100メートルの方形で、北と東の虎口跡からは、側溝を持つ通路が続いていました。この通路と大溝跡により、大きく3つの空間に分かれます。北西部は建物が集中する「建物域」で、大溝により区画されています。南は石敷が広がる中に2つの池が造られた「園池域」で、北東は建物が少ない「空間域」となっています。
Excavations conducted from 1997 to 2008 revealed that the main enclosure of Oda Castle was continuously used until the Age of Provincial Wars (1467 - 1590), by adding improvements to the castle built in the Kamakura Period (1185 - 1333). Based on findings, the main enclosure was restored to its state in the latter half of the Age of Provincial Wars, when it was the largest throughout its long history.