多気太郎義幹之墓[古墳]
📍 日本、〒300-4231 茨城県つくば市北条290−2 2026-08-29
— 由緒板の原文(読めた字)多気太郎義幹之墓
多気太郎義幹は桓武平氏の流れを汲み、桓武天皇の子葛原親王より数えて十一代に当る。三代高望王より平氏を称し、四代良望は常陸大掾に任ぜられ、平国香と名乗る。六代維幹は水守より多気城(現北条城山)に移り初代城主となるが、直系子孫は常陸平氏の本家とされる。維幹より六代目の城主が多気太郎義幹である。名君の誉れ高く領民のため無量院裏池及び現在町内を流れる通称裏堀を開削し、水利に多大の貢献を果している。しかるに源頼朝の全国支配が進展するにつれ、義幹は知家の讒にかかる曽我…
▽ 原文をすべて読む
多気太郎義幹之墓
多気太郎義幹は桓武平氏の流れを汲み、桓武天皇の子葛原親王より数えて十一代に当る。三代高望王より平氏を称し、四代良望は常陸大掾に任ぜられ、平国香と名乗る。六代維幹は水守より多気城(現北条城山)に移り初代城主となるが、直系子孫は常陸平氏の本家とされる。維幹より六代目の城主が多気太郎義幹である。名君の誉れ高く領民のため無量院裏池及び現在町内を流れる通称裏堀を開削し、水利に多大の貢献を果している。しかるに源頼朝の全国支配が進展するにつれ、義幹は知家の讒にかかる曽我兄弟の討ち入りに関し、身を駿河国に預けられあい領地はただちに没収され、〔判読不能〕建久四年頼朝の富士の巻狩りにかわる小田の地に八田知家の支配下に〔判読不能〕当地にて歿した。没日は七月六日と十五日の二説がある。遺臣等義幹の遺徳を偲び霊骸を迎えて当地に葬る。以って英魂の安慰を奉り今日に至っている。なお無量院は義幹の建立になり、のち時宗四代呑海上人が当地を遊行のみぎり、無量院殿等阿弥陀佛の戒名を上人が当地を遊行のみぎり、名を追贈している。