大宝八幡宮[神社]
📍 日本、〒304-0022 茨城県下妻市大宝667 2026-10-05
— 由緒板の原文(読めた字)【蝉鐘楼(木札)】
蝉 鐘 楼
鐘は、埼玉県岩槻市平林寺を開山した、石室善玖が嘉慶一年(一三八七年)鋳造。大工沙弥道善作。
この鐘は、天正一年(一五七三年)九月、多賀谷氏が戦利品として持ち帰り奉納したと伝わる。
明治時代以前は実際に撞かれていたが、県指定有形文化財として宝蔵されている鐘を往時の姿に復す為、篤志の方々の協力を得、元の位置に復建したものである。
瓦と彫刻に水に縁のある「蝉」を配したのは、永久の防火・火災難除の祈りをこめたものである。
【銅鐘(説明板)】
銅鐘「嘉…
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【蝉鐘楼(木札)】
蝉 鐘 楼
鐘は、埼玉県岩槻市平林寺を開山した、石室善玖が嘉慶一年(一三八七年)鋳造。大工沙弥道善作。
この鐘は、天正一年(一五七三年)九月、多賀谷氏が戦利品として持ち帰り奉納したと伝わる。
明治時代以前は実際に撞かれていたが、県指定有形文化財として宝蔵されている鐘を往時の姿に復す為、篤志の方々の協力を得、元の位置に復建したものである。
瓦と彫刻に水に縁のある「蝉」を配したのは、永久の防火・火災難除の祈りをこめたものである。
【銅鐘(説明板)】
銅鐘「嘉慶元年」の銘と「享徳五年」の追銘あり
青銅製で、高さ108.1cm、口径60.3cmです。
鐘の中間にあるほぼ方形の四区の池の間(いけのま)の陰刻銘(いんこくめい)により、鐘はさいたま市岩槻区平林寺(へいりんじ)を開山した石室善玖(せきしつぜんきゅう)が嘉慶元年(1387)に鋳造したもので、大工沙弥道善作とわかります。
その後、享徳5年(1456)に現古河市の上幸嶋郡穴太辺(かみさしまぐんあなべ)の星智寺のものとなったことが三区以下の追銘で知ることができます。
この鐘は天正元年(1574)9月、佐竹氏の先手となった多賀谷氏(たがやし)が、猿島郡へ出陣の際に戦利品として持ち帰り、大宝八幡宮(だいほうはちまんぐう)に奉納したものと伝えられています。
また、この鐘を撞くと、ふるさと恋しさから「あなべ恋し」と鳴ると言われ『あなべ恋しのつりがね』とも呼ばれています。
指定年月日 昭和59年3月8日/所在地 下妻市大宝667/管理者 大宝八幡宮/製作時期 南北朝時代