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由緒大辞典

KAMI-LEGACY

土地の由緒を、種別・神仏・主題・地域から引く。
原文(由緒板の写し)と、AIの読みは分けて扱う。

103 由緒あり / 103 うち原文取得済み
種別 全て その他19 古墳9 城址4 寺26 神社42 遺跡3
主題 ✕ 障子堀と土塁 神仏習合10 山岳信仰9 忍性6 鎮魂6 弘法大師5 天神信仰5 前方後円5 横穴式石室5 修験道5 律宗4 水運4 阿弥陀信仰4 八幡信仰4 養蚕4
神仏 阿弥陀如来6 一言主大神4 地蔵菩薩3 薬師如来3 大国主命3 宇迦之御魂神3 菅原道真3 観音菩薩3 勢至菩薩3 飯縄大権現3 素戔嗚尊2 不動明王2
▽ もっと(全125柱)
愛宕神2 住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)2 大日如来2 埴山姫命2 木花開耶姫命2 天照皇大神2 弘法大師(空海)2 木花咲耶姫命1 観世音菩薩1 弘法大師(遍照金剛)1 宇迦之御魂命1 仁王(金剛力士)1 羽黒大神1 伊弉冉命1 火産霊神1 宇迦之御魂神(稲荷神)1 愛宕神(火防の神)1 天照大御神1 天穂日命1 別雷命1 岐神(久那斗神/於岐都説神)1 天鳥船神1 雷大神1 須佐之男命(津島大神)1 天満宮1 稲荷神社1 田の神1 天王宮1 市杵嶋姫命1 須佐之男命1 保食神1 伊邪那岐命1 伊邪那美命1 金山比古命1 稲荷神1 三峰山の神1 誉田別命(応神天皇)1 地蔵菩薩(六地蔵)1 稚産霊神1 天御鉾命1 イザナギノミコト1 筑波男神(伊弉諾尊)1 筑波女神(伊弉冉尊)1 天照大神1 八坂大神1 弥勒菩薩1 六所大仏1 伊弉諾尊1 伊弉冉尊1 六神様(六祖神霊)の荒御魂〔新魂宮〕1 司官御霊〔司官御霊社〕1 蔵王権現1 志那都比古神1 志那都比売神1 中筒男神1 猿田毘古神1 木花咲耶姫神1 武甕槌命1 建御名方命1 事代主命1 毗那良珠命1 天神社1 道祖神1 大山咋神1 火産霊神(愛宕)1 青面金剛1 猿田彦1 日蓮聖人1 親鸞聖人1 道祖神(塞の神)1 猿田彦命1 阿弥陀如来(中尊)1 毘沙門天(多聞天)1 不動明王(波切不動明王)1 稲荷1 大弁財天1 天満大自在天神1 熊野権現1 岐神(くなどのかみ)1 天鳥船神(あまのとりふねのかみ)1 清瀧権現1 イワナガヒメ(磐長姫)1 稚産霊神(稚産霊命)1 金色姫(蚕影山大神)1 がま大権現(光誉上人)1 十一面観音1 南無六道能化地蔵菩薩1 阿弥陀如来(キリーク梵字)1 三宝大荒神1 大山祇命1 積羽八重事代主神1 市杵島姫命1 修行大師(弘法大師空海)1 増長天1 四天王(持国天・広目天・多聞天)1 飯縄権現1 弘法大師(修行大師・空海)1 愛染明王1 大聖歓喜天1 十一面観世音菩薩1 小天狗(烏天狗)1 大天狗1 広目天1 多聞天1 和脩吉竜王1 天日鷲命1 誉田別命1 足仲彦命1 息長足姫命1 仁徳天皇の御子(若宮八幡宮祭神)1 応神天皇(八幡様)1 八柱の神1 聖天(歓喜天)1
並び 新しい順 社名 地域

1件 種別「城址」・主題「障子堀と土塁」 で絞り込み

小田城跡[城址]
📍 日本、〒300-4223 茨城県つくば市小田2377 2026-11-08
— 由緒板の原文(読めた字)本丸跡では、平成9年度(1997)から20年度(2008)まで実施した発掘調査により鎌倉時代の館を改修しながら、戦国時代まで使用し続けたことが判明しています。その成果を元に、最上面の全体像が分かる戦国時代後半の様子を復元しました。 戦国時代後半の本丸跡では、堀跡は上幅約20〜30m、深さ約4〜5mの堀底を凸凹にした障子堀で、その内側に基底幅約10〜15mの土塁跡が巡ります。土塁と堀の間の斜面には犬走りと呼ぶ段があり、南東と北東の隅は櫓台状に突出しています。 出入口である虎口跡…
▽ 原文をすべて読む
本丸跡では、平成9年度(1997)から20年度(2008)まで実施した発掘調査により鎌倉時代の館を改修しながら、戦国時代まで使用し続けたことが判明しています。その成果を元に、最上面の全体像が分かる戦国時代後半の様子を復元しました。 戦国時代後半の本丸跡では、堀跡は上幅約20〜30m、深さ約4〜5mの堀底を凸凹にした障子堀で、その内側に基底幅約10〜15mの土塁跡が巡ります。土塁と堀の間の斜面には犬走りと呼ぶ段があり、南東と北東の隅は櫓台状に突出しています。 出入口である虎口跡は南西・北・東で確認しました。南西虎口跡では低い石垣を築いており、南には馬出跡へと通じる木橋跡が発見されました。橋の形状は、東では石積みのある土橋状の張出と木橋の組み合わせで、北では部分的に石積みを使用した土橋跡でした。 本丸の土塁跡内側は南北約115メートル、東西約100メートルの方形で、北と東の虎口跡からは、側溝を持つ通路が続いていました。この通路と大溝跡により、大きく3つの空間に分かれます。北西部は建物が集中する「建物域」で、大溝により区画されています。南は石敷が広がる中に2つの池が造られた「園池域」で、北東は建物が少ない「空間域」となっています。 Excavations conducted from 1997 to 2008 revealed that the main enclosure of Oda Castle was continuously used until the Age of Provincial Wars (1467 - 1590), by adding improvements to the castle built in the Kamakura Period (1185 - 1333). Based on findings, the main enclosure was restored to its state in the latter half of the Age of Provincial Wars, when it was the largest throughout its long history.

電子ご由緒は、説明板などをもとにAIが読み解いた非公式の読み物です。

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