無量院[Temple]
📍 日本、〒300-4231 茨城県つくば市北条375 2026-08-25
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)無量院本堂再建記念碑
そもそも無量院の濫觴をたずぬるに、当山は建久元(一一九〇)年十一月多気山城主常陸大掾多気太郎平義幹公、鎌倉右大将上洛に際し随兵として京師を観て後、祖宗報恩のため一寺を道場山に建立し、西山の道場梅松山無量寿院光明寺と号し、寺領一千貫を寄せ、以って報恩の誠を致せるものなり。然るに、建久四年義幹公かつて庶民のために図り給いし水利土木のことをもって、隣接の小田城主八田知家のために讒せられて、身を岡部権守泰綱に預けられ、その領常陸六郡の地を馬場資幹に改付せらる。…
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無量院本堂再建記念碑
そもそも無量院の濫觴をたずぬるに、当山は建久元(一一九〇)年十一月多気山城主常陸大掾多気太郎平義幹公、鎌倉右大将上洛に際し随兵として京師を観て後、祖宗報恩のため一寺を道場山に建立し、西山の道場梅松山無量寿院光明寺と号し、寺領一千貫を寄せ、以って報恩の誠を致せるものなり。然るに、建久四年義幹公かつて庶民のために図り給いし水利土木のことをもって、隣接の小田城主八田知家のために讒せられて、身を岡部権守泰綱に預けられ、その領常陸六郡の地を馬場資幹に改付せらる。このとき再三身の公明を申し述べられしが、遂に入れられずして駿河の地に憤死せらる。〔以下一部判読不能〕公の遺徳を偲び奉りて、霊骸を迎えて、当山に葬り、もって霊魂を安慰し奉る。
次いで嘉暦年中(一三二六〜二八)、当山を現今の地に遷し、なお義幹公生前崇敬し奉るところの天満大自在天神・稲荷尊・大弁財天・熊野権現を勧請して、以って当山の鎮守となし、かつ塔頭甘露院のほか末寺一寺を建立しその恩に報ゆと。然れば山門の勢観、四方の清景とともに栄えて、自ずより衆生摂取念仏弘通の霊場となれり。
越えて正中年中(一三二四〜二五)、当宗四代呑海大和尚、当国御修行のみぎり、〔判読不能〕得度し奉る。ここにおいて、無量院殿等阿弥陀佛の法号を追贈し奉り、天台宗を時宗となし、千日の念仏をなすど。
旧本堂 再建発願 当山三十二世東因和尚 建立成就 当山三十三世察道和尚 享保十二(一七二六)年二月二十九日
当山五十一世敬道和尚の記録 大正六(一九一七)年茅葺き本堂屋根を瓦葺きとす。昭和十三(一九三八)年六月大豪雨 同年九月大台風により本堂大破のため修復工事。
新本堂 建立成就 当山五十三世朝海和尚 平成十六(二〇〇四)年十一月六日落慶
昭和四十年代以後幾度か補修を加えしも老朽化の防止は困難と判断、平成十二(二〇〇〇)年十月、建立以来二七〇余年の風雪に耐えし堂宇の再建を決議す。完成まで満四年の歳月を要せり。