石田山 長光寺[Temple]
📍 日本、〒300-4521 茨城県筑西市東石田1070−6 2026-08-23
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)平 国香(たいらの くにか)
国香の父である高望王は寛平元年(八八九)平姓を賜り、上総介として東国(関東)に下り、上総下総常陸にわたり広大な私有地を開き、これらを諸子に分け与え長男の良望(国香)には常陸国真壁郡石田(東石田)が与えられました。
国香は父高望王亡きあと、常陸大じょう鎮守府将軍に就き一族の長として、筑波郡、真壁郡、新治郡一帯の統治を征されることになりました。
国香が住んでいた真壁郡石田・(東石田)は、東は開けた田面と筑波川(桜川)をへだてて筑波の霊峰に対し、西は…
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平 国香(たいらの くにか)
国香の父である高望王は寛平元年(八八九)平姓を賜り、上総介として東国(関東)に下り、上総下総常陸にわたり広大な私有地を開き、これらを諸子に分け与え長男の良望(国香)には常陸国真壁郡石田(東石田)が与えられました。
国香は父高望王亡きあと、常陸大じょう鎮守府将軍に就き一族の長として、筑波郡、真壁郡、新治郡一帯の統治を征されることになりました。
国香が住んでいた真壁郡石田・(東石田)は、東は開けた田面と筑波川(桜川)をへだてて筑波の霊峰に対し、西は大森林地帯、更に西には鳥羽の淡海が漫々と水をたたえており、この地に荘園を持ち、その中心地に居館を構え、村人たちの生活をより豊かにしようと開発勧農に力を注ぎ、率先して開墾の先頭に立ち指揮をとりました。田畑は徐々に広がり、このあたり一帯が美しい水田に変わりました。
承平五年(九三五)平将門と源護の間に争いが起こり、護に味方した国香は自ら軍を指揮して出動したが将門の精鋭軍に敵せず、石田の居館に逃げ帰ったが、将門軍は追撃激しく石田の居館をおそった。国香は傷をかけられ、舎、宅、ことごとくてん滅されてしまった。承平五年二月四日のことである。東石田には国香の墓、居館跡が伝称されている。
筑西市教育委員会