石田山 長光寺|将門に敗れし開発領主、水田を拓いた丘

茨城県
石田山 長光寺

【陽の由緒】

まず土地から読む。ここ東石田は、東に桜川(説明板の言う「筑波川」)を隔てて筑波の霊峰を仰ぎ、西にはかつて鳥羽の淡海と呼ばれた水を湛えていた——低湿の縁である。低地に水を導き、葦の原を田面へ変える。それが、この丘に人が居館を構えた理由だ。説明板(看板)は、高望王が寛平元年(八八九)に平姓を賜って東国へ下り、長男の良望=国香がこの常陸国真壁郡石田を与えられたと記す。国香は開発勧農に自ら先頭に立ち、田畑を広げ、一帯を水田に変えた——武人である前に、水を治める開発領主だったのだ。

【陰の史実】

承平五年(九三五)二月四日——説明板は淡々と、しかし残酷に記す。源護と将門の争いに護方として出た国香は、甥・将門の精鋭に敗れ居館へ逃げ帰り、追撃を受けて舎宅ことごとく焼き滅ぼされた。開発の功を積んだ丘が、一夜で灰になった。血は、正直に置かねばならない。

記録した写真

📍 36.219981, 140.048217(日本、〒300-4521 茨城県筑西市東石田1070−6)



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