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Dictionary of Origins

KAMI-LEGACY

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Type All Other13 Kofun (burial mound)9 Castle ruins1 Temple18 Shrine40 Archaeological site3
Motif 神仏習合9 山岳信仰6 鎮魂6 天神信仰5 前方後円5 横穴式石室5 律宗4 忍性4 筑波山4 阿弥陀信仰4 道祖神4 地蔵信仰3 磐座3 稲荷3
Deity 阿弥陀如来8 地蔵菩薩4 宇迦之御魂神3 菅原道真3 薬師如来2 火産霊神2 大国主命2 岐神(くなどのかみ)2 天鳥船神(あまのとりふねのかみ)2 住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)2 応神天皇(八幡神)2 稚産霊神2
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埴山姫命2 木花開耶姫命2 観音菩薩2 勢至菩薩2 一言主大神2 素戔嗚1 木花咲耶姫命1 不動明王1 弘法大師(遍照金剛)1 羽黒大神1 伊弉冉命1 愛宕神1 天照大神1 天穂日命1 別雷命1 於岐都説神(おきつせのかみ)1 雷大神(別雷神)1 須佐之男命(津島大神)1 菅原道真(天満宮)1 稲荷神(宇迦之御魂神)1 田の神1 牛頭天王(天王宮)1 少彦名命1 大己貴命1 宇気母知神(保食神)1 伊邪那岐命1 伊邪那美命1 市杵嶋姫命1 須佐之男命1 金山比古命1 八幡神1 天御鉾命1 イザナギノミコト1 天御中主神1 国常立尊1 筑波男神(伊弉諾尊)1 筑波女神(伊弉冉尊)1 弥勒菩薩1 鹿島明神(武甕槌)1 白鳥明神1 弁天1 天照皇大神1 伊弉諾尊1 伊弉冉尊1 六神(六祖神霊)の荒御魂1 司官御霊1 蔵王権現1 志那都比売神1 中筒男神1 志那都比古神1 猿田比古神1 木花咲耶姫神1 武甕槌命1 建御名方命1 事代主命1 毗那良珠命1 天神(天神社)1 道祖神1 大山咋神1 道祖神(塞の神)1 猿田彦命1 日本武尊1 毘沙門天(多聞天)1 波切不動明王1 弘法大師1 天満大自在天神1 稲荷尊1 大弁財天1 熊野権現1 馬頭観音1 清龍権現1 素戔嗚尊1 イワナガヒメ(磐長姫)1 がま大権現(光誉上人)1 十一面観音1 六道能化地蔵菩薩1 三宝荒神1 大山祇命1 積羽八重事代主神1 市杵島姫命1
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船宮神社[Shrine]
📍 日本、〒300-4241 茨城県つくば市上菅間237 2026-08-23
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)〔本殿脇木札〕御祭神 志那都比売神 中筒男神 志那都比古神 猿田比古神 〔末社木札〕稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂神 〔末社木札〕子安神社 御祭神 木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ) 〔記念碑〕船宮社殿屋根銅板葺替え工事 総事業費 四百参拾萬円 施工業者 古宇田建築 工事期間 令和三年三月〜七月
雲井宮郷造神社[Shrine]🏛 国史見在社
📍 日本、〒300-4515 茨城県筑西市倉持773 2026-08-23
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)雲井宮郷造神社(社号標)/雲井宮(鳥居扁額)/奉納・納(鳥居柱)/天神社(境内社扁額)/道祖神(境内社扁額)
日枝神社(山王神社)[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒300-4514 茨城県筑西市山王堂163 2026-08-23
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)(写真3・土台石)愛宕神社新築 土台石奉納 柴倉吉 (写真4)日枝神社改築工事寄進者名 〔寄進金額・寄進者名 多数、一部判読不能〕 横浜市 内田克己 長塚工務店 物井板金 昭和五十五年三月三十日竣工 寄附 谷島工務店 (写真5)愛宕神社改築工事寄進者名 土台石 〔寄進金額・寄進者名 多数、一部判読不能〕 平成八年八月 竣工
蔵王神社[Shrine]
📍 日本、〒300-4211 茨城県つくば市臼井1666 2026-08-22
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)つくば市指定 彫刻 蔵王権現立像 昭和五十九年五月二十四日指定 蔵王権現は、平安時代以来、修験道において信仰されてきた悪魔降伏・済生利益の菩薩である。 本像は小品ながら、なかなか良くつくられている。右腕をあげ拳を握り、左手は腰の位置で独鈷をとり、左足で岩座に立つ動勢の姿態は、しばしば誇張されたものになりがちだが、本像はきわめて手際よくまとめられている。 本像については伝承があり、もと新治村小高の金嶽神社御神体であったという。小田氏滅亡の時、その家臣小高氏が本像を奉持してここ立…
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つくば市指定 彫刻 蔵王権現立像 昭和五十九年五月二十四日指定 蔵王権現は、平安時代以来、修験道において信仰されてきた悪魔降伏・済生利益の菩薩である。 本像は小品ながら、なかなか良くつくられている。右腕をあげ拳を握り、左手は腰の位置で独鈷をとり、左足で岩座に立つ動勢の姿態は、しばしば誇張されたものになりがちだが、本像はきわめて手際よくまとめられている。 本像については伝承があり、もと新治村小高の金嶽神社御神体であったという。小田氏滅亡の時、その家臣小高氏が本像を奉持してここ立野に逃れ、これをまつったと伝える。 桧材寄木造 造高五二cm 平成二年十二月 つくば市教育委員会
六所大神宮[Shrine]
📍 日本、〒300-4212 茨城県つくば市神郡六所 2026-08-21
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)郷土の歴史 六所大神宮 筑波山は天地開闢の始めより諸神鎮座の聖地であり、庶民が素朴に敬意を払う対象としての霊地である。天御中主神・国常立尊を祖神として五穀草木鳥獣も人類の繁盛せしめ〔以下判読困難〕 〔中略・祭神および沿革部分は反射と風化のため大半判読不能〕 六所大神宮古絵図(別碑):宮山/お宝山(亀ヶ丘)/白鳥明神/朝日社/六所大神宮/拝殿/神職屋敷/大宮司屋敷/神宮寺/鹿島明神/弁天・小池/随神門/石鳥居/愛宕/白龍神/御神水/不動/百姓屋敷/田畑なり
六所皇大神宮霊跡(六所神社)[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒300-4211 茨城県つくば市臼井2047 2026-08-21
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)天照皇大神 御腰掛の石 天照皇大神は 筑波山へご降臨された 伊弉諾尊 伊弉冉尊の御子であります ご両親が祀られた筑波山南麓の里で幼少期 を過ごされ 後に伊勢へ遷られたと伝えら れています この石は天照皇大神が御腰掛 けになられたと言われる霊石です 我が身をば伊勢の神路に遷せども 心は父母の筑波嶺の里 と幼い頃の筑波を想い 詠まれたとされる 御歌が残っています 明治の末までこの地にあった六所神社は 六所皇大神宮とも称せられ 御座替の宮と して神御衣祭が執り行なわれていまし…
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天照皇大神 御腰掛の石 天照皇大神は 筑波山へご降臨された 伊弉諾尊 伊弉冉尊の御子であります ご両親が祀られた筑波山南麓の里で幼少期 を過ごされ 後に伊勢へ遷られたと伝えら れています この石は天照皇大神が御腰掛 けになられたと言われる霊石です 我が身をば伊勢の神路に遷せども 心は父母の筑波嶺の里 と幼い頃の筑波を想い 詠まれたとされる 御歌が残っています 明治の末までこの地にあった六所神社は 六所皇大神宮とも称せられ 御座替の宮と して神御衣祭が執り行なわれていました 伊勢神宮の代拝所として関東一円の人々 から広く崇敬されたのであります 〔金属板・修徳碑より読み取れた範囲〕 六所皇大神宮霊跡縁起 六所神社は関東唯一の名社にして筑波神社と同一社なり 古来 里の宮御座替りの宮と称し筑波の祭事を執行せし神社なり 全社は往古伊勢神宮の分社として遠近臣民の崇敬深く伊勢大廟の代拝所となせし由緒赫々たる霊域なり
新魂宮[Shrine]
📍 日本、〒300-4211 茨城県つくば市臼井2658−15 2026-08-21
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)六神様の荒御魂をお祀りしています 新魂宮(あらたまのみや) 六神様(六祖神霊)の 平和でおだやかな御魂を「和御魂」と申し 時に際し 積極的な活動面にご神威をあらわす御魂を「荒御魂」と申します 新魂宮に健康・安全・勇猛な挑戦など諸願望をご祈念下さい
初酉神社[Shrine]
📍 日本、〒300-4216 茨城県つくば市漆所208 2026-08-20
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)初酉神社 (はっとりじんじゃ) 旧漆所村の村社。祭神は天御鉾命と伝えられる。社号にちなみ,旧十一月の初の酉の日に祭礼を行っている。 「はっとり」の名は姓氏の服部(はっとり)に通じる。伝承はないが,初酉の社号は機織(はたおり)に由来すると考えてよいと思われる。 この地一帯には多くの古墳が在り,古くから人々が住んでいたことが明らかである。その古代の人々が機織をなりわいとしていたことが,そもそもの発祥となったのだろうか。 社地の西側にある古墳は満面塚という。約四十メートルの前方後円…
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初酉神社 (はっとりじんじゃ) 旧漆所村の村社。祭神は天御鉾命と伝えられる。社号にちなみ,旧十一月の初の酉の日に祭礼を行っている。 「はっとり」の名は姓氏の服部(はっとり)に通じる。伝承はないが,初酉の社号は機織(はたおり)に由来すると考えてよいと思われる。 この地一帯には多くの古墳が在り,古くから人々が住んでいたことが明らかである。その古代の人々が機織をなりわいとしていたことが,そもそもの発祥となったのだろうか。 社地の西側にある古墳は満面塚という。約四十メートルの前方後円墳であり,六世紀後半の築造と推定される。
八坂神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒300-4231 茨城県つくば市北条102−1 2026-08-19
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)総高二〇一センチ、材は花崗岩である。空風輪がきわだって大きく、火輪は軒の出が浅い。また水輪は角張っている。こうしたこまかい細工にこだわらぬ造形が、かえって堂々とした強さをかもしだしている。 昭和四十六年一月二十八日指定 石造五輪塔 八坂神社の別当は吉祥院であった。この五輪塔はもとその境内にあり、明治の廃仏毀釈の際に、現在地に移されたと思われる。地輪上部に穴が掘られ、その中に経筒がおさめられていた。その銘文は次のようである。 (種子バク) 十羅刹女 常忍北条住人 奉納大衆妙典六…
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総高二〇一センチ、材は花崗岩である。空風輪がきわだって大きく、火輪は軒の出が浅い。また水輪は角張っている。こうしたこまかい細工にこだわらぬ造形が、かえって堂々とした強さをかもしだしている。 昭和四十六年一月二十八日指定 石造五輪塔 八坂神社の別当は吉祥院であった。この五輪塔はもとその境内にあり、明治の廃仏毀釈の際に、現在地に移されたと思われる。地輪上部に穴が掘られ、その中に経筒がおさめられていた。その銘文は次のようである。 (種子バク) 十羅刹女 常忍北条住人 奉納大衆妙典六十六部聖道慶 三十番神 天文六年今月今日 天文六年(一五三七)造立の在銘五輪塔は、県内では新治村の頭白上人五輪塔(永正十二年〈一五一五〉)に次いで、古いものである。しかも、五輪塔が納経塔としてつくられた例は、全国でもめずらしい。 平成元年三月 つくば市教育委員会
平澤八幡神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)🏆 名神大社
📍 日本、〒300-4213 茨城県つくば市平沢582 2026-08-19
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)茨城県指定 工芸品 石造六角地蔵宝幢 昭和四十六年一月二十八日指定 十六世紀から十七世紀初期にかけて、筑波山周辺では、石造六角地蔵宝幢の造立が流行する。その最初期の例が、新治村本郷の盛泉寺にあるもので、永正十六年(一五一九)に作られた。 この種の宝幢の特長は、石灯籠と同じように、笠に蕨手(わらびて)があることである。そのためながい間六地蔵石灯籠と呼びならわされてきた。 本幢は十六世紀末頃の製作であり、盛泉寺のと比較するとだいぶ形式化しているが、基礎から宝珠まで完存し、当代の…
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茨城県指定 工芸品 石造六角地蔵宝幢 昭和四十六年一月二十八日指定 十六世紀から十七世紀初期にかけて、筑波山周辺では、石造六角地蔵宝幢の造立が流行する。その最初期の例が、新治村本郷の盛泉寺にあるもので、永正十六年(一五一九)に作られた。 この種の宝幢の特長は、石灯籠と同じように、笠に蕨手(わらびて)があることである。そのためながい間六地蔵石灯籠と呼びならわされてきた。 本幢は十六世紀末頃の製作であり、盛泉寺のと比較するとだいぶ形式化しているが、基礎から宝珠まで完存し、当代の様式をうかがうことができる遺例として、貴重なものである。 花崗岩 総高一六八cm 平成二年十二月 つくば市教育委員会
平沢八幡神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)🏆 名神大社
📍 日本、〒300-4213 茨城県つくば市平沢582 2026-08-19
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)茨城県指定 工芸品 石造六角地蔵宝幢 昭和四十六年一月二十八日指定 十六世紀から十七世紀初期にかけて、筑波山周辺では、石造六角地蔵宝幢の造立が流行する。その最初期の例が、新治村本郷の盛泉寺にあるもので、永正十六年(一五一九)に作られた。 この種の宝幢の特長は、石灯籠と同じように、笠に蕨手(わらびて)があることである。そのためながい間六地蔵石灯籠と呼びならわされてきた。 本幢は十六世紀末頃の製作であり、盛泉寺のと比較するとだいぶ形式化しているが、基礎から宝珠まで完存し、当代の…
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茨城県指定 工芸品 石造六角地蔵宝幢 昭和四十六年一月二十八日指定 十六世紀から十七世紀初期にかけて、筑波山周辺では、石造六角地蔵宝幢の造立が流行する。その最初期の例が、新治村本郷の盛泉寺にあるもので、永正十六年(一五一九)に作られた。 この種の宝幢の特長は、石灯籠と同じように、笠に蕨手(わらびて)があることである。そのためながい間六地蔵石灯籠と呼びならわされてきた。 本幢は十六世紀末頃の製作であり、盛泉寺のと比較するとだいぶ形式化しているが、基礎から宝珠まで完存し、当代の様式をうかがうことができる遺例として、貴重なものである。 花崗岩 総高一六八cm 平成二年十二月 つくば市教育委員会
蚕影神社[Shrine]
📍 日本、〒300-4212 茨城県つくば市神郡2000 2026-08-19
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)蚕影神社(こかげじんじゃ) 【鎮座地】茨城県つくば市神郡一九九八番地 【祭神】稚産霊神、埴山姫命、木花開耶姫命 【祭祀】蚕糸祭 例祭 十月二十三日/三月二十八日(豊蚕祈願祭) 【由緒沿革】第十三代成務朝、忍凝見命孫、阿部閇色命は筑波国造に赴任するや、〔判読不能〕筑波大神に奉仕した。更に豊浦に稚産霊神を鎮祭し、山麓にはこの霊地を守護するための蚕影山桑林寺が建立された。〔判読不能〕正に日本養蚕の始めと誇るところで、全国蚕業家尊崇の名社である。 「金色姫」天竺仲国の姫君金色姫は四度…
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蚕影神社(こかげじんじゃ) 【鎮座地】茨城県つくば市神郡一九九八番地 【祭神】稚産霊神、埴山姫命、木花開耶姫命 【祭祀】蚕糸祭 例祭 十月二十三日/三月二十八日(豊蚕祈願祭) 【由緒沿革】第十三代成務朝、忍凝見命孫、阿部閇色命は筑波国造に赴任するや、〔判読不能〕筑波大神に奉仕した。更に豊浦に稚産霊神を鎮祭し、山麓にはこの霊地を守護するための蚕影山桑林寺が建立された。〔判読不能〕正に日本養蚕の始めと誇るところで、全国蚕業家尊崇の名社である。 「金色姫」天竺仲国の姫君金色姫は四度の受難の後、〔判読不能〕土地の古老曰く、常陸なる〔…〕これ日本の養蚕の始めである。 「各谷姫」第二十九代欽明天皇皇女各谷姫、筑波山に飛至り神となり始めて神衣を織られた。国人等に養蚕太神と崇め奉られた。 萬葉集 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君がみけしにあやにきほしも(巻十四 三三五〇)
飯名神社[Shrine]
📍 日本、〒300-4211 茨城県つくば市臼井1 2026-08-17
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)飯名神社由來記 一、古くから稲野(飯名野)の弁天として近隣に信仰され〔判読不能〕常陸風土記〔判読不能〕和銅六年〔判読不能〕飯名郡〔判読不能〕 一、其後〔判読不能〕正月初巳日〔判読不能〕御遷宮〔判読不能〕 一、筑波山中腹〔判読不能〕造立〔判読不能〕祭神〔判読不能〕 一、万葉集巻十東歌「筑波嶺に雪かも降らる〔判読不能〕」伊奈〔判読不能〕と解釈されている 一、例祭日は毎年旧正月初巳日〔判読不能〕 一、祭神・配祀 宇気母知神、大己貴命、伊邪那岐命、伊邪那美命、市杵嶋姫命、須佐之男命、…
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飯名神社由來記 一、古くから稲野(飯名野)の弁天として近隣に信仰され〔判読不能〕常陸風土記〔判読不能〕和銅六年〔判読不能〕飯名郡〔判読不能〕 一、其後〔判読不能〕正月初巳日〔判読不能〕御遷宮〔判読不能〕 一、筑波山中腹〔判読不能〕造立〔判読不能〕祭神〔判読不能〕 一、万葉集巻十東歌「筑波嶺に雪かも降らる〔判読不能〕」伊奈〔判読不能〕と解釈されている 一、例祭日は毎年旧正月初巳日〔判読不能〕 一、祭神・配祀 宇気母知神、大己貴命、伊邪那岐命、伊邪那美命、市杵嶋姫命、須佐之男命、金山比古命〔判読不能〕 一、昭和二十七年一月二十三日 宗教法人設立 飯名神社々務所 〔別碑〕東日本大震災復興祈願 石玉垣建立記念碑 平成二十三年三月十一日午後二時四十六分〔判読不能〕東北・関東地方に大地震が発生した〔判読不能〕福島、茨城四県〔判読不能〕神社においても鳥居〔判読不能〕石垣が半壊し〔判読不能〕氏子崇敬者の懸命の復旧作業により〔判読不能〕平成二十四年二月に修復が叶う〔判読不能〕石玉垣を建立する 平成二十四年五月吉日
雷神社[Shrine]⛩ 山城国一宮📜 式内社(比定候補)🏆 名神大社
📍 日本、〒289-2616 千葉県旭市見広1366−1 2026-08-16
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)雷神社由緒 〔雷大神〕 【創建】 雷神社(ライジンジャ)は、第十二代景行天皇が皇子日本武尊の東征の跡を御巡行なされた際、椿湖を望むこの地に立たれ、東国の総鎮守として創建された。古来より見広城主嶋田三河守を始め、千葉氏・源氏・松平氏等の崇敬も篤く、江戸時代からは海上郡十三郷の総鎮守として今日に至っている。 御祭神 天ノ穂日命 別雷命 鎮座地 海上郡海上町見広一三七一番地 【御祭神】 鎮地の神々 雷神社の神々は自然を治め、地上に起こる災いを鎮め、人々を守護し賜う神である。主…
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雷神社由緒 〔雷大神〕 【創建】 雷神社(ライジンジャ)は、第十二代景行天皇が皇子日本武尊の東征の跡を御巡行なされた際、椿湖を望むこの地に立たれ、東国の総鎮守として創建された。古来より見広城主嶋田三河守を始め、千葉氏・源氏・松平氏等の崇敬も篤く、江戸時代からは海上郡十三郷の総鎮守として今日に至っている。 御祭神 天ノ穂日命 別雷命 鎮座地 海上郡海上町見広一三七一番地 【御祭神】 鎮地の神々 雷神社の神々は自然を治め、地上に起こる災いを鎮め、人々を守護し賜う神である。主祭神の天穂日命は天照大神の御子で、当地方の祖神である。大神は天照大神から地上の悪神を鎮める命を受け、地上の乱れを平定した。国土開発・商売繁盛・産業振興の守護神として信仰されている。別雷命は、平安時代の始め(桓武天皇の延暦十二年・西暦七九三年)に京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)より御迎えした大神で、これにより桓武天皇から『雷大神』の称号を賜った。大神は雨と治水を司り、大自然を支配する神である。河川の治水、更に農業・漁業・天蚕業のほか諸産業の守護神として崇敬を集めている。また、人類の邪悪を祓い除き、地鎮・諸災厄除け・開運・方位除災・平和福祉の増進を達成される神である。 【式年銚子大神幸祭】 堀川天皇の康和四年(西暦一一〇二年)に銚子市高神一帯に大津波が起こり、大嵐が続いた。この時、天皇の勅命により雷神社、豊玉姫神社、東大社の三社が御神幸祭を斎行し、天変地異を鎮めた。以来、御神幸祭は第九回までは毎年行なわれ〔判読不能〕平成に入ってからは、平成二年と二十二年四月の斎行である。〔以下判読不能〕関東一の大神輿と言われている。 【祭禮】 一月一日 元旦祭 二月三日 節分祭 二月二十五日 例大祭 三月十五日 例大祭 〔以下判読不能〕 【指定文化財】 雷神社の御神幸 無形民俗文化財 雷神社の森 天然記念物 雷神社の力石 有形民俗文化財
海上雷神社(雷神社)[Shrine]📜 式内社(比定候補)🏆 名神大社
📍 日本、〒289-2616 千葉県旭市見広1371 2026-08-16
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)【津島大神】 宮本見広の祇園祭(夏祭り・七月下旬)に渡御する神輿。須佐之男命(スサノヲノミコト)が御奉戴される神輿である。祇園祭は京都の祇園の八坂神社の煌びやかな夏祭りが全国に広がったもので、当社では江戸時代の享和四年(一八〇四)に、同一神を祀る愛知県の津島神社の御祭神を勧請し、境内の石宮にお祀りした。この神輿も原型は古い様式を踏襲しているが、細工が精巧で、〔判読不能〕垂木を用いるなど優れた技法で建造されている。昭和四十五年と平成二十四年に大規模改修を行っている。 【天満宮…
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【津島大神】 宮本見広の祇園祭(夏祭り・七月下旬)に渡御する神輿。須佐之男命(スサノヲノミコト)が御奉戴される神輿である。祇園祭は京都の祇園の八坂神社の煌びやかな夏祭りが全国に広がったもので、当社では江戸時代の享和四年(一八〇四)に、同一神を祀る愛知県の津島神社の御祭神を勧請し、境内の石宮にお祀りした。この神輿も原型は古い様式を踏襲しているが、細工が精巧で、〔判読不能〕垂木を用いるなど優れた技法で建造されている。昭和四十五年と平成二十四年に大規模改修を行っている。 【天満宮】 祇園祭(夏祭り)の際に、宮本の見広区内を渡御する子供神輿。子供神輿の渡御が暫く途絶えていたため、昭和五十二年にこの神輿を建造し、境内石宮に天満宮を勧請して御祭神となした。雷神社の御神輿は、子供神輿のみならず、雷大神、津島大神に至るまで全て、地元宮大工の手により造営されたものである。
下羽黒神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒308-0021 茨城県筑西市甲37 2026-08-15
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)下館初代城主水谷氏尊崇の神社 下羽黒神社 筑西市大町甲三七番地 下羽黒神社の中心の神社。文明十年(一四七八)水谷左近将監勝氏(初代)が結城家より独立し、下館に築城。三年後の文明十三年(一四八一)羽黒大神を勧請した。 勝氏は、古式により下館城の鬼門の稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天門の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。 その後、天文十四年(一五四五)水谷政村(六代)が久下田に築城、鬼門にあたる大根田村と病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。世に七羽黒と呼ばれている…
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下館初代城主水谷氏尊崇の神社 下羽黒神社 筑西市大町甲三七番地 下羽黒神社の中心の神社。文明十年(一四七八)水谷左近将監勝氏(初代)が結城家より独立し、下館に築城。三年後の文明十三年(一四八一)羽黒大神を勧請した。 勝氏は、古式により下館城の鬼門の稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天門の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。 その後、天文十四年(一五四五)水谷政村(六代)が久下田に築城、鬼門にあたる大根田村と病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。世に七羽黒と呼ばれている。 羽黒神社は境内六千余坪、三十七石を寄進し、水谷家の武運長久、領民の安泰を祈願している。 水谷氏移封後も、松平、増山、黒田、石川等歴代藩主の尊崇篤く、享保十三年(一七二八)黒田直邦が本殿の大改修を行なった。 昭和五年六月郷社に列せられる。 尚、平成十四年本殿が茨城県文化財(建造物)に指定。 寄贈 下館商工会議所
羽黒神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒308-0021 茨城県筑西市甲35−4 2026-08-15
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)大朋稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂神 穀物・産業・守り神様 商売繁盛・五穀豊穣・家内安全
日限天満宮[Shrine]📜 式内社
📍 日本、〒308-0021 茨城県筑西市甲37 2026-08-15
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)学業試験合格祈願社 日限天満宮 祭日一月二十五日・初天神の日 (鳥居扁額)日限天満宮 (碑)東参道記念之碑 (社号標)献/奉
神明神社[Shrine]📜 式内社(比定候補)
📍 日本、〒308-0813 茨城県筑西市大塚218 2026-08-15
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)御大典 紀念 神宮遙拝之碑 〔判読不能〕昭和三年〔判読不能〕十五日 社〔判読不能〕
浅間神社(宝篋山山頂)[Shrine]⛩ 甲斐国一宮📜 式内社(比定候補)
📍 549J+32 日本、茨城県つくば市 2026-08-09
— Verbatim text of the origin-board (Japanese, as legible)【忍性菩薩像造立記】 忍性(一二一七―一三〇三)は鎌倉時代の律宗の僧侶である。西大寺叡尊のもとで修行し、その教えに従って、生涯を仏教に盛んにすることと、民衆を救済するために力を捧げた。若年より慈悲の心が深く、学問をして自己研鑽に努めるよりも、人のため、とりわけ弱い者・貧しい者・病む者のために力を尽くすことを志した。 忍性は建長四年(一二五二)三十六歳の時、奈良を離れて遠く東国に下り、ここ小田の極楽寺に至りついた。それは律宗の感化のまだ及んでいない東国の人々に、釈迦の教えの功…
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【忍性菩薩像造立記】 忍性(一二一七―一三〇三)は鎌倉時代の律宗の僧侶である。西大寺叡尊のもとで修行し、その教えに従って、生涯を仏教に盛んにすることと、民衆を救済するために力を捧げた。若年より慈悲の心が深く、学問をして自己研鑽に努めるよりも、人のため、とりわけ弱い者・貧しい者・病む者のために力を尽くすことを志した。 忍性は建長四年(一二五二)三十六歳の時、奈良を離れて遠く東国に下り、ここ小田の極楽寺に至りついた。それは律宗の感化のまだ及んでいない東国の人々に、釈迦の教えの功徳を伝えようとするやむにやまれぬ思いに迫られたためであった。当時仏教界において は、僧侶が守り実行しなければならないとされた規則(戒律)は全く忘れ去られていた。従って釈迦の教えを受け継ぐ僧侶は、本来は民衆の救済を使命とすべきはずなのだが、そのことに関心を抱く僧侶は東国には乏しかった。慈悲心の厚い忍性は単身この東国に乗りこんで、「釈迦」の教えを再興することを目指した。 釈迦の教えの根本は、もろもろの悪を為すことなかれ(諸悪作す莫れ)、もろもろの善を実行せよ(衆善奉行せよ)に尽きる。律宗はこの悪は犯すな、善は行えという戒めを説いて、その実践が人々の救済になることを約束した。 残念ながら、忍性が小田の地で果たした事績について、具体的に伝える史料はわずかである。小田に十年居て、それから鎌倉に移った忍性は、そこで貧しい人々や病者の救護に当たったことが知られている。これらの輝かしい功績により、嘉暦三年(一三二八)後醍醐天皇より菩薩号を賜った。 今年二〇一七年は忍性生誕八百年になる。その人の遺徳を偲び、有志の者が集い、ここに忍性菩薩像を造立した。像はハンセン病の子供を背負う姿である。 二〇一七年十一月四日 宝篋山忍性像建立会 宝篋山整備隊 文 井坂 敦実 忍性菩薩像 浅間神社 宝篋山頂