
【陽の由緒】
まず土地を読む。ここは利根川下流、霞ヶ浦・北浦から鹿島灘へ抜ける水の交わる低地で、砂丘と微高地が入り組む。海と川の民が船で行き交った土地だ。説明板が言うとおり、この塚は東西を主軸とする長さ約二〇mの前方後円墳で、標高約五・六mの微高地の端を利用して築かれている。後円部が前方部より高いことから古墳時代前期のものとされ、市内に残る唯一の前方後円墳だという(以上すべて看板)。
名を持たない被葬者は、この水郷の一帯を束ねた首長だったと読める。ヤマトの墓制である前方後円墳をここで採ったこと自体が、遠い大和の政権と結ばれた証しだ——鹿島灘の民が中央の秩序に接続していく、その最前線の記念碑である。
記録した写真

📍 35.858606, 140.694672(日本、〒314-0114 茨城県神栖市日川4244)


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