
【陽の由緒】
ここはつくば市漆所、旧漆所村の丘の上で、周囲の斜面には竹の支柱が並び、境内は苔と杉に覆われている。看板は明快だ——この地一帯には多くの古墳が点在し、社地の西には全長約四十メートルの前方後円墳「満面塚」(六世紀後半築造と推定)が眠る。つまり名より先に、ここには古墳時代からの定住があった。人が住み、糸を紡ぎ、布を織った丘なのだ。
社号「初酉(はっとり)」は、その所作の化石である。看板は「機織(はたおり)に由来する」と踏み込み、姓氏の服部(はっとり)に通じると記す。服部氏は古代の機織部(はとりべ)——織物を職掌とした渡来系の技術集団に連なる氏族だ。祭神の天御鉾命は、その機織の民が奉じた祖神・技術神と読める(source=看板・伝承)。祭礼は今も旧十一月の初の酉の日に行われる。酉の日を選ぶ律もまた、暦と農事・機織の周期に根ざした古い所作だ。
【矛盾と沈黙】
最も雄弁な沈黙は、西の満面塚だ。看板はそれを「前方後円墳」「六世紀後半」とだけ記し、被葬者の名を語らない。語れないのだ。この丘に糸を通した人々の首長が眠るはずの墳丘は、名を奪われたまま草に埋もれ、社はその傍らに立つ。記紀の神統譜が語る整った祖神像と、名なき前方後円墳が語る土着・渡来の首長像——二つの声は重ならない。どちらが正しいと決める必要はない。織る民の丘に、墓と社が黙って並んでいる、その割れ目こそが本題だ。境内の隅に寄り添う二基の石祠・石灯籠(写真四・五)も、名を刻まれぬまま祀られ続けている。
記録した写真





📍 36.188019, 140.086150(日本、〒300-4216 茨城県つくば市漆所208)


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