
霧の残る杉木立のなか、朱の小堂が一つ、参道の傍らに立っている。軒の扁額には「愛染明王」、堂前には橙の幕に白く「えんむすび」、社号標がわりの案内板は「愛染堂 Aizendo Hall」と告げる。ここは高尾山——標高五百九十九メートルの霊峰であり、真言宗智山派・高尾山薬王院有喜寺の懐だ。GPSの示す高尾町の座標も、深い森と切り立った尾根が語る立地も、そのことに違わない。
木札の墨書は、この堂の来歴を静かに証している。「奉造立 愛染明王像 愛染堂」、施主は東京都板橋区の「高尾一心六大龍王講」、横溝淑功、先達は彰山粧麗、平成六年の吉祥月日。講(こう)——同じ信仰で結ばれた在家の集団が、この明王像を奉じた。
さて、愛染明王とは何者か。梵名アラガ・ラージャ、赤い身に忿怒の相、六本の腕、頭上に獅子を戴き、弓矢を執る。その本義は密教にある——「煩悩即菩提」、すなわち人の欲や愛執(あいしゅう)は打ち消すべき穢れではなく、そのまま悟りへ転じうる力だ、という教えだ(source=伝承)。世を捨てよと説く仏道の多くの声のなかで、愛染明王は逆を行く。燃える情愛を否定せず、その炎ごと引き受け、菩提へと染め上げる。だからこそ後世、恋と縁結び、夫婦和合の仏として、庶民の切実な願いを一身に受けてきた。橙の幕の「えんむすび」も、堂前に幾重にも結ばれた紅白の紐も、その長い信仰の現在形である。
過去に力あった講が奉じ、今もなお紅白の紐が新しく結ばれ続けている。灯は絶えていない。ここは遺物ではなく、いまも祈りの熱を受け止める場だ。
記録した写真

📍 35.625867, 139.250503(日本、〒193-0844 東京都八王子市高尾町193)
物語と写真 © KAMI-LEGACY(achoo合同会社)。説明板の原文は各社寺のものです。
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